2026年ミラノ・コルティナ・オリンピック出場を決めたカーリング女子日本代表「フォルティウス」のセカンド・小谷優奈選手。
神奈川県相模原市出身の彼女は、どのような経歴を歩んできたのでしょうか?
また、競技を始めたきっかけや、印象的なエピソードも気になりますよね。
そこで今回は、小谷優奈選手の経歴とエピソードについて、詳しく調査しました!
父の影響で始めた、カーリングからオリンピック代表までの道のり、そして彼女の人柄やプレースタイルまで、たっぷりとご紹介します。
小谷優奈の経歴は?小学4年生から始めたカーリング人生

小谷優奈選手は、1998年5月26日生まれ、神奈川県相模原市出身です。
カーリングを始めたのは小学4年生のとき。
趣味でカーリングを楽しんでいた父・靖広さんの勧めで、近所の「銀河アリーナ」で競技をスタートさせました。
中学時代には、2010年・2011年の日本ジュニア選手権に出場し、着実に実力をつけていきます。
興味深いのは、中学時代はバレーボール部に所属していたこと。
キャプテン・エースとして活躍し、怪我で出場できないときも「チームのためにできることを」と献身的に仲間を支えていました。
海老名高校卒業後の2015年、小谷選手は山梨・富士急行のカーリング部「チーム富士急」に加わります。
そして、2018年の第35回日本選手権では、チームのサードとして優勝を果たしました。
この優勝により世界選手権日本代表に選ばれ、世界大会デビューも実現。
2022年8月まで、チーム富士急で活動した後、同年9月にカーリング女子日本代表チーム「フォルティウス」へ移籍。
現在は、セカンドとしてプレーし、2025年の日本選手権(第42回)でフォルティウスの一員として優勝しています。
日本選手権優勝は、富士急時代の2018年と、フォルティウス加入後の2025年の2回を数えます。
小谷優奈のエピソードは?父の影響と地元の期待を背負って

小谷優奈選手のカーリング人生には、心温まるエピソードがたくさんあります。
まず何といっても、父・靖広さんの影響が大きいでしょう。
幼い頃から、父が趣味でカーリングを楽しんでいた姿を見て育ち、相模原のスケート場「銀河アリーナ」で父に教わりながら競技を始めました。
また、小谷選手がオリンピック出場を決めた際には、地元で大きな反響がありました。
当時通った小学校の元校長先生が、テレビの実況で姿を見かけ、「相模原からオリンピアンが出た」と地域に知らせ回る姿が話題に。
地元の期待を一身に背負う存在となっています。
メディアの取材では、「カーリングを見て『スポーツって面白いな』『カーリングってすごいな』と思ってもらいたい」と語っています。
さらに「病気で闘う子どもたちの希望になれる選手になりたい」という熱い言葉も。
競技以外の活動への思いも持ち合わせており、人々に勇気を与える存在を目指しています。
2025年12月のオリンピック最終予選では、強豪国相手に勝利を重ね、最後はノルウェーに勝利して2026年ミラノ・コルティナ・オリンピック出場権を獲得。
初のオリンピック出場を目前にした小谷選手は「チームの目標である金メダルへのスタートラインに立つことができた」と抱負を語っています。
小谷優奈のプレースタイルと人柄は?チームを支えるセカンドの役割

フォルティウスでセカンドを務める小谷優奈選手。
セカンドは3~4投目の投球を担当し、強力なスイープ(氷面掃き)でチームを支える重要なポジションです。
小谷選手の持ち味は、パワフルなスイープと守りを意識したショット。
常に積極的な姿勢でプレーし、本人も長所を「向上心」と語っており、日々の練習で技術向上を目指して努力を続けています。
人柄については、明るくチーム思いの性格で知られています。
困難な状況でも笑顔を絶やさず仲間を鼓舞する姿勢は、中学時代のバレーボール部顧問も「チームに献身的で、明るく笑う姿が印象的」と評しています。
北海道拠点のフォルティウスには、本州出身者が少ない中、2022年9月の加入以降は北海道へ拠点を移し、チームのセカンドとして重要な役割を担っています。
家族や地域への感謝も忘れず、地元・相模原の期待を背負ってプレーする姿勢が人々の心をつかんでいます。
まとめ
今回は、小谷優奈選手の経歴とエピソードについてご紹介しました。
父の影響で、小学4年生から始めたカーリングで、日本選手権優勝2回、そして2026年ミラノ・コルティナ・オリンピック出場を決めた小谷選手。
明るくチーム思いの性格と、パワフルなスイープが持ち味のセカンドとして、フォルティウスを支えています。
地元・相模原の期待を背負い、「病気で闘う子どもたちの希望になれる選手になりたい」という思いを胸に、金メダルを目指す小谷優奈選手。
オリンピックでの活躍が、今から楽しみですね!

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