女芸人として、独特の下ネタ芸で人気を集める紺野ぶるまさん。
2024年のTHE Wでは準優勝を獲得し、さらに注目を集めていますよね。
そんな紺野ぶるまさんですが、若い頃はどんな生活を送っていたのでしょうか。
実は高校中退や、モデル詐欺被害など、波乱万丈な過去があったんです。
今回は、紺野ぶるまさんの若い頃について、学生時代のエピソードや、芸人になったきっかけをまとめました。
紺野ぶるまの若い頃の学生時代とギャル化

紺野ぶるまさんは1986年9月30日、東京都三鷹市に生まれました。
幼少期の5歳の時には卵巣嚢腫と先天性心房中隔欠損の手術を受けるという大変な経験をしています。
無事に回復した紺野さんは、中学時代にバドミントン部に所属し、都大会でベスト8に進出するほどの実力を発揮しました。
その実績を買われて推薦入試で私立の女子高校に進学したのですが、ここで紺野さんの人生が大きく変わります。
当時流行していたギャル文化に強く影響を受け、髪を金色に染めて肌を焼くなど派手なスタイルに走るようになったんです。
校則違反を繰り返した結果、17歳で高校を退学処分となってしまいました。
高校中退後は通信制高校に編入し、課題提出や月1回のスクーリングで高等学校卒業資格を取得しています。
若い頃の紺野ぶるまさんは、真面目なスポーツ少女から一転してギャルになるという大きな変化を経験していたんですね。
紺野ぶるまが高校中退後にモデル詐欺被害に遭った経緯

高校を中退した紺野ぶるまさんは、進路に悩む中で芸能界への夢を抱くようになりました。
身長172cmという長身を活かしてモデルを目指し、数社のモデル事務所に所属したんです。
しかしここで紺野さんは辛い経験をすることになります。
所属した事務所はいずれも「レッスン料」という名目で高額の費用を請求する詐欺事務所だったんです。
合計100万円以上を請求され、通算で数十万円を失うという被害に遭ってしまいました。
若い頃の紺野ぶるまさんは、夢を利用されて、金銭的な被害を受けるという悔しい思いをしていたんですね。
この経験は後に自伝的エッセイ『「中退女子」の生き方 ~腐った蜜柑が芸人になった話~』でも語られています。
モデルの夢を断念せざるを得なかった紺野さんですが、この挫折が次の道へと繋がっていくことになります。
紺野ぶるまが芸人を目指したきっかけとくまだまさしへの憧れ

モデルの夢を諦めた紺野ぶるまさんが、芸人を目指すきっかけとなったのは、ある日自宅でテレビを見ていた時のことでした。
画面に映っていたのは、くまだまさしさんの「ブルマパーティー」というネタ。
このネタを見た紺野さんは「こんな大人になりたい」と強く憧れ、芸人になる決意を固めたんです。
21歳で、松竹芸能東京養成所のタレントコースに入所した紺野さん。
養成所修了後の2010年に、松竹芸能からデビューしました。
最初は幼なじみと結成した女性コンビ「ブルマニアン」で活動し、ブルマー姿の出し物を披露していましたが半年ほどで解散。
その後は、ピン芸人として独自の下ネタ芸を追求し、2017年と2018年にはR-1ぐらんぷり決勝進出を果たしています。
2017年から2019年には、女芸人No.1決定戦THE Wでも決勝進出し、2024年には準優勝を獲得しました。
若い頃の挫折を乗り越えて、紺野ぶるまさんは着実に実力を示してきたんですね。
まとめ
今回は、紺野ぶるまさんの若い頃について、学生時代のエピソードや、芸人になったきっかけをまとめました。
中学時代は、バドミントンで都大会ベスト8に進出するスポーツ少女でしたが、高校ではギャル化して17歳で退学処分に。
その後、モデルを目指すも詐欺被害に遭い、数十万円を失うという辛い経験をしていました。
しかし、くまだまさしさんのネタに憧れて芸人の道を選び、現在では、THE W準優勝を獲得するまでに成長しています。
若い頃の挫折をバネに、明るく前向きな姿勢を貫く紺野ぶるまさん。
今後のさらなる活躍が楽しみですね。

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