2026年ミラノ・コルティナ・オリンピックのカーリング日本代表に、16年ぶりの復帰を果たした近江谷杏菜選手。
バンクーバー・オリンピック以来の大舞台への切符を手にした彼女は、一体どのような経歴を持ち、どんなエピソードがあるのでしょうか?
この記事では、近江谷杏菜選手の経歴とエピソードについて詳しくご紹介します!
近江谷杏菜の経歴!父もオリンピック選手の常呂町出身カーリング選手

近江谷杏菜選手は、1989年10月12日生まれ、北海道北見市常呂町出身のカーリング選手です。
カーリングの聖地として知られる常呂町で育った彼女は、小学校4年生の10歳の時にカーリングを始めました。
実は近江谷選手の父・近江谷好幸さんも元カーリング選手で、1998年長野オリンピック男子代表として出場した経歴を持っています。
親子揃ってオリンピック代表となる、まさにカーリング一家なんですね!
2008年1月には「チーム青森」に正式加入し、青森市役所に所属しながら競技を続けました。
この時期には2008年世界選手権で4位入賞を果たすなど、若手ながら頭角を現していきます。
そして2010年、弱冠20歳でバンクーバー・オリンピックに日本代表として出場しました。
その後2014年3月にチーム青森を退団し、故郷の北海道に戻ります。
同年4月からは、北海道銀行(現:北海道銀行フォルティウス)に所属し、現在も第一線で活躍を続けています。
日本カーリング選手権では、2015年と2021年に優勝するなど、国内トップレベルの実力を誇る選手です。
バンクーバー・オリンピックでの苦戦とチーム青森退団の転機

2010年バンクーバー・オリンピックでは、近江谷選手はチーム最年少の20歳ながらサードとして出場しました。
しかし、大会では序盤からショットが決まらず、本人も「序盤から決まらずに頭が疲れていた」と振り返るほど苦戦を強いられます。
チームは最終的に8位という結果に終わり、近江谷選手は「私の力不足」と語っています。
オリンピック後、チーム青森は主力の本橋麻里選手らが離脱するなど大きな変化を迎えました。
近江谷選手は、青森市役所を退職してまでチームに残りましたが、2013年にチーム青森は活動休止となります。
トップチームとしての存続が困難となり、2014年3月に退団・退社を決断し、故郷の北海道へ戻ることになりました。
この苦しい時期が、近江谷選手にとって大きな転機となります。
北海道銀行フォルティウス加入後は、再び全国大会で上位に食い込む活躍を見せるようになりました。
そして、2026年ミラノ・コルティナ・オリンピックでは、2010年大会から16年ぶりに日本代表復帰を果たすことになったのです!
自己申告のフェアプレーや夢グループものまねなど話題のエピソード

近江谷選手には、競技面だけでなく、人柄が伝わる印象的なエピソードがいくつもあります。
2021年2月の全農日本選手権決勝では、チームメイトのショットの際に近江谷選手のブラシがストーンに触れるハプニングが発生しました。
このとき近江谷選手は審判を待つことなく「私のブラシです。ビデオ判定とかないので」と自己申告したのです。
痛恨のミスをチーム一丸で乗り越え、試合を逆転優勝で終えたこのエピソードは、彼女のフェアプレー精神を示すものとして話題になりました。
また、チームメイトとの仲の良さを示す、ユーモラスなエピソードもあります。
2024年の対談では、遠征先で同僚の小野寺佳歩選手と通信販売会社「夢グループ」の社長やタレントのものまねをして遊んでいたことを明かしました。
炊飯器のプレゼンごっこに発展し、お互いの演技力に驚きながら大笑いしたそうです!
プライベートでは韓国ドラマ『ペントハウス』を「ながし見」するのが趣味で、札幌では喫茶店「いわい珈琲」がお気に入りスポットだそうです。
高校時代にはカーリング映画『シムソンズ』に出演し、2010年にはサントリーのCMにも登場しました。
温厚で明るい性格と努力家ぶりで、チームメイトからも信頼される選手なんですね!
まとめ
近江谷杏菜選手の経歴とエピソードについてご紹介しました!
父もオリンピック選手という環境で育ち、バンクーバー・オリンピックでの苦戦やチーム青森退団という困難を乗り越えて、16年ぶりのオリンピック代表復帰を果たした彼女。
フェアプレー精神や明るい人柄も魅力的ですね。
2026年ミラノ・コルティナ・オリンピックでの活躍が今から楽しみです!

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