小林明子さんといえば、1985年の大ヒット曲「恋におちて -Fall in love-」で一躍有名になった歌手ですよね。
しかし、小林明子さんの若い頃について、詳しく知っている人は、意外と少ないのではないでしょうか?
実は小林明子さんの若い頃は、学習院大学を卒業後に、東京大学教授の助手を務めるなど、かなり異色の経歴の持ち主だったんです!
そこで今回は、小林明子さんの若い頃について、学生時代から、デビューまでの知られざるエピソードをまとめてみました。
小林明子の若い頃は学習院大学卒業後に東大教授の助手を務めていた!

小林明子さんは1958年生まれで、東京都狛江市の出身です。
若い頃の小林明子さんは、学習院大学の哲学科に進学し、卒業後はなんと東京大学教授の助手を務めていたという驚きの経歴があります!
歌手としてのイメージからは想像できないほど、知的な道を歩んでいたんですね。
大学卒業後は、音楽出版会社に勤務しながら、作曲家としての活動も始めました。
1984年には、ブレッド&バターへの提供曲「Moon Eyes」で作家デビューを果たしています。
当時の小林明子さんは歌手ではなく作曲家を目指していたというのも意外ですよね!
インテリジェンスを漂わせる雰囲気は、こうした学歴や、経歴から来ているのかもしれません。
若い頃から音楽と、学問の両方に秀でていた小林明子さんは、まさに才色兼備だったと言えるでしょう。
小林明子の若い頃は洋楽好きでカーペンターズに似た歌声だった!

学生時代の小林明子さんは、軽音楽同好会でキーボードを担当していました。
当時はハードロック曲を演奏していたほか、カーペンターズやリンダ・ロンシュタットなど洋楽のカバーバンドでボーカルも務めていたそうです。
若い頃から洋楽が大好きで、英語の発音も流暢だったんですね!
小林明子さんの歌声は、カレン・カーペンター似の澄んだ声として注目されていました。
実際、1988年に香港でのチャリティーコンサートに出演した際には、現地スタッフから「声がカレン・カーペンターにそっくりだ」と指摘されたそうです。
この出来事がきっかけで、カーペンターズの作曲者リチャード・カーペンターにプロデュースを依頼することになりました!
若い頃から、洋楽志向の作風を持っていた小林明子さんは、後に国際的なアーティストとしても、活躍することになります。
学生時代の音楽活動が、その後のキャリアの基礎になっていたんですね。
小林明子の若い頃のデビュー曲「恋におちて」誕生秘話とは?

1984年、制作ディレクターから「大人っぽい歌」を一週間で作ってほしいと依頼された小林明子さん。
この時作曲したのが、後に「恋におちて」となる楽曲の原型でした。
しかし当初は、別の歌手に提供する予定で進められたため、いったんボツになってしまったんです!
約1年後、「やはり君の声で歌ったほうがいい」という話が持ち上がり、小林明子さん自身が歌唱することになりました。
こうして1985年8月、27歳でデビュー曲『恋におちて -Fall in love-』を発表します。
同曲はTBS系ドラマ『金曜日の妻たちへIII』の主題歌に起用され、累計約95万枚を売り上げる大ヒットとなりました!
制作裏話としては、局側は英語詞を希望する一方、レコード会社は日本語詞も必須と主張し、作詞の湯川れい子さんが何度も詞を書き直したそうです。
小林明子さんも書き直しのたびにレコーディングを重ね、プロデューサーから「アルバム1枚分のお金を使った」と言われたほどでした。
若い頃の小林明子さん自身はヒットを予想しておらず、「もしこの曲がヒットしなかったら普通にOLをしていたかもしれない」と後に語っています。
まとめ
今回は、小林明子さんの若い頃について、学生時代からデビューまでの経歴をまとめてきました。
学習院大学卒業後に東大教授の助手を務めていたという知的な経歴や、洋楽好きでカーペンターズに似た歌声を持っていたこと、そして「恋におちて」の誕生秘話など、興味深いエピソードがたくさんありましたね!
作曲家志望からシンガーへと転身し、デビュー曲で大ヒットを飛ばした小林明子さんの若い頃は、まさに才能と運が重なった奇跡のような時期だったと言えるでしょう。
現在も、精力的に活動を続けている小林明子さんの、今後のご活躍が楽しみですね!

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