川田裕美さんといえば、現在はフリーアナウンサーとして活躍されていますが、若い頃はどんな姿だったのでしょうか?
実は川田裕美さんの若い頃は、ミス戎橋に選ばれるほどの美人大学生だったんです!
しかし、その華やかな経歴の裏には、優等生から不登校へと転落した挫折の学生時代もありました。
今回は、川田裕美さんの若い頃の美しい姿や、知られざる学生時代のエピソードについて詳しくお伝えします!
川田裕美の若い頃はミス戎橋に選ばれた美人大学生だった

川田裕美さんは1983年6月22日生まれで、大阪府出身です。
和歌山大学経済学部に在学中の2003年、大阪・戎橋筋商店街のミスコンで「ミス戎橋」に選ばれました。
この頃から地元では注目される存在となり、若い頃の川田裕美さんは美人大学生として知られていたんですね。
大学時代の川田裕美さんは、学内インターネットラジオ局で声の鍛錬に励んでいました。
アナウンサーを目指していた川田裕美さんにとって、この経験は貴重な修行の場だったようです。
学業やアルバイトの傍ら、アナウンサー養成講座にも通い、夢に向かって着実に歩みを進めていました。
大学3年生の時には東京のテレビキー局セミナーにも参加し、就職活動はアナウンサー一本に絞りました。
その結果、読売テレビの採用試験に見事合格し、2006年4月に入社を果たしたのです。
若い頃から明確な目標を持ち、それに向かって努力を重ねていた川田裕美さんの姿勢が伺えますね。
川田裕美の学生時代は優等生から不登校へ転落した挫折の日々

華やかな経歴を持つ川田裕美さんですが、実は学生時代には大きな挫折を経験していました。
泉大津市内の公立中学では学年トップの成績を収めるほどの優等生だった川田裕美さん。
しかし、大阪府立三国丘高校に進学後、状況は一変します。
受験勉強の「燃え尽き」により、難問の予習に手を付けられなくなってしまったのです。
授業についていけず、成績は急降下。
高校2年生の2学期以降は、夜遅くまで遊んで昼まで寝るという生活になり、欠席がちになってしまいました。
優等生から不登校気味へと転落した川田裕美さんですが、ここで諦めませんでした。
高校3年生の時に映像授業の予備校で基礎から学び直すことを決意。
その努力が実を結び、和歌山大学への合格を果たしたのです。
この挫折と再起の経験は、川田裕美さんの人間性を形成する上で大きな影響を与えたのではないでしょうか。
若い頃の苦労があったからこそ、現在の親しみやすいキャラクターが生まれたのかもしれませんね。
川田裕美の若い頃のアナウンサー入社後の天然エピソード

読売テレビに入社した川田裕美さんは、2006年7月にニュースデビューを果たしました。
その後、関西ローカル番組のリポーターや全国番組のレギュラーアシスタントなどを務め、明るいキャラクターで人気を集めます。
しかし、若い頃の川田裕美さんには数々の天然エピソードがありました。
特に有名なのが、初の生中継リポートでの失敗談です。
京都祇園祭の中継デビューで、司会者から「1日どうでしたか?」と感想を求められた川田裕美さん。
なんと「本当に疲れました、暑くてビールが飲みたいです」と自分の感想を述べてしまったのです。
祭りの感想を答えるべきところを、そのまま自分の気持ちを答えてしまい、スタジオはシーンとなってしまいました。
帰社後に上司から叱られたというこのエピソードは、川田裕美さんの素直で天然な性格を物語っていますね。
また、『情報ライブ ミヤネ屋』では「へんてこスキップ」で人気を博しました。
共演した宮根誠司さんからは「かわいすぎるドジっ子」と評され、世界一不器用に披露した不規則なスキップは視聴者の笑いを誘いました。
このような愛され天然キャラが、川田裕美さんの若い頃からの魅力だったんですね。
まとめ
今回は、川田裕美さんの若い頃について詳しくお伝えしました。
ミス戎橋に選ばれた美人大学生だった一方で、高校時代には優等生から不登校へと転落した挫折も経験していたんですね。
そして、アナウンサーとしてデビューした若い頃には、天然エピソードで視聴者を楽しませていました。
苦労も成功も経験してきた川田裕美さんだからこそ、現在の親しみやすいキャラクターがあるのでしょう。
これからも川田裕美さんの活躍を応援していきたいですね!

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