皆さんは、いとうあさこさんの若い頃をご存知ですか?
現在、バラエティ番組で大活躍中のいとうあさこさんですが、実は波乱万丈な人生を歩んできたんです。
お嬢様育ちから家出、そして芸人としての下積み時代まで、意外性に満ちた経歴の数々。
今回は、いとうあさこさんの若い頃の驚きの経歴について、詳しくお伝えしていきます。
いとうあさこの意外な生い立ち

いとうあさこさんは、1970年生まれの東京都出身です。
実は、彼女の生い立ちは、多くの人が想像するものとは大きく異なっています。
父親は東大卒の銀行員で、裕福な家庭で育ったいとうさん。
小学校から高校まで、名門女子校である雙葉学園に通い、お嬢様教育を受けていました。
この経歴だけを見ると、現在の芸風からは想像もつかないですよね。
しかし、高校卒業後の19歳の春、彼女の人生は大きく変わることになります。
尾崎豊の歌詞に衝撃を受け、進路に疑問を持ったいとうさんは、両親に「図書館へ勉強に行きます」と告げて家出を決行したのです。
2年かけて貯めたお小遣いで、都内にロフト付き3畳の部屋を借り、ひっそりと暮らし始めました。
家出から芸人への道のり

家出後、いとうさんはいったん女優志望で専門学校に通いながら、飲食店などでアルバイト生活を送りました。
そして1997年、27歳の時に同級生の佐藤千亜紀さんと意気投合し、お笑いコンビ「ネギねこ調査隊」を結成。
これが、いとうさんの芸能界デビューとなりました。
2001年には、NTV『進ぬ!電波少年』の企画「15少女漂流記」に参加。
タイの無人島で半年間のサバイバル生活を経験するという、過酷な挑戦にも果敢に挑みました。
この経験が、後の芸人としての強さにつながったのかもしれません。
2003年にコンビは解散し、いとうさんはピン芸人としての道を歩み始めます。
しかし、この時期はまだまだ下積みの日々。
2004年の『R-1グランプリ』では準決勝に進出したものの、テレビ出演は少なく、ストレスの多い日々が続いたそうです。
ブレイクまでの苦労と転機

30歳頃まで鳴かず飛ばずだったいとうさんですが、40歳前後で大きな転機が訪れます。
2008年の『爆笑レッドカーペット』公開イベントで披露した加齢ネタが大ウケ。
レオタード姿で浅倉南のパロディを演じ、会場を沸かせたのです。
これをきっかけに、いとうさんは大ブレイクを果たしました。
地上波バラエティへの出演が急増し、声優業やドラマ出演など、活動の幅も大きく広がっていきました。
苦労時代を経験したいとうさんは、後のインタビューで次のように語っています。
「19歳で家出し、最初の仕事は配膳スタッフだった。初めてのお給料日で働くことのありがたさに気づいた、父は家族のために働いているのに、私は19で家を出て…本当に申し訳ないと思った」
この言葉からも、いとうさんの誠実な人柄が伝わってきますね。
現在、いとうさんの芸風は漫談中心の自虐ネタが特徴です。
自分の恋愛のヘタさや経済苦を明るく笑いに変え、常に満面の笑みでしゃべり切るスタイルが多くの人々に支持されています。
まとめ
いかがでしたか?
いとうあさこさんの若い頃の驚きの経歴についてお伝えしました。
お嬢様育ちから家出、そして芸人としての長い下積み時代を経て、現在の人気を獲得するまでの波乱万丈な人生。
その経験が、今のいとうさんの魅力につながっているのかもしれません。
「経験に無駄はない」と語るいとうさん。
どんな苦境も前向きに捉え、最後には笑いに昇華してきた生き様は、多くの人々に勇気と希望を与えているのではないでしょうか。
これからも、いとうあさこさんの活躍から目が離せませんね!
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